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地域とともに歩む

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ネット光明池


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光明池とは

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●光明池はこんな池です

・所在地:堺市南区城山台 和泉市室堂町、和田町、光明台 [地図]

・築 造:昭和11[1936]

・貯水量:3,696,000t [農業用ため池で大阪府下最大]
 
・満水面積:36ha [農業用ため池で大阪府下第3]

・かんがい面積:約300ha

説明: 説明: 空から見た光明池全景

説明: 説明: 光明池の夕暮れ


・堤 防 [光明池には堤防が2箇所あります。]

説明: 説明: 本堤防(東側から)

説明: 説明: 本堤防(西側から)

本堤防(池の北側)

形式:傾斜コア型フィルダム
堤高:26
堤長:350

説明: 説明: 副堤防(西側から)

説明: 説明: 副堤防(東側から)

副堤防(池の南西側)

形式:傾斜コア型フィルダム
(平成23年度改修工事完了)
堤高:18
堤長:130


・余水吐(洪水吐) [大雨の時の洪水など、一定量以上の貯水を池外に排水します。]

説明: 説明: 余水吐(満水越流時)

説明: 説明: 余水吐

形式:扇形越流式コンクリート堰
堰長:18
水路延長:222


・取水設備 [ここから水を下流の水路に送ります。]

説明: 説明: 取水塔

説明: 説明: 取水塔(内部)

形式:取水塔
塔高:25.6
塔内径:2,500mm2,700mm
取水バルブ:φ4503基 φ5001
底樋管バルブ:φ6001


・管理事務所

説明: 説明: 管理事務所

説明: 説明: 第2管理事務所


●光明池の名前の由来
 光明池の「光明」とは、どこからついた名前でしょうか。

 奈良時代の聖武天皇のお妃として孤児や病人の救済にたち、広く民衆に慕われた「光明皇后」が、大宝元年[701]にこの池に生誕したという伝説にちなんで命名されました。光明池命名当時、地域の人々はとても喜んでいたと伝えられています。

説明: 説明: 光明皇后誕生所の碑

説明: 説明: 国分寺

和泉市国分町にある光明皇后誕生所の碑と
光明皇后の生誕地と伝えられる国分寺


●光明池の歴史 〜どうして光明池はつくられたのか〜
 泉北地域では、大正末期から昭和初期にかけて、時代の進展と人口増加とともに耕地面積が拡大されたにも関わらず、農業用水はほとんどすべてを雨水に頼る状況でした。

 →光明池築造前の泉北地域の地形図(昭和初期:緑色が農地 地図右下のが後の光明池)

 そのため、干ばつによる不作の年が3年に1回の割合で発生し、農家にとっては農業用水の確保が非常に深刻な問題となっていました。

 この問題を解決するため、槇尾川からの取水による大容量のため池の新設が検討され、昭和3[1928]に大阪府知事より、泉北耕地整理組合の設立と工事施工が認可されました。

説明: 説明: 泉北耕地整理組合の設立認可書

泉北耕地整理組合の設立認可書[昭和31120]


 しかし、あまりにも規模の大きな事業であったことから、資金の獲得はなかなかはかどりませんでした。泉北耕地整理組合は、大阪府への再三の陳情活動の結果、ようやく、昭和6[1931]4月から大阪府営事業として着工できることとなりました。

 さて、事業が進行するにしたがい、様々な問題も生じてきました。なかでも、事業費の高騰などによる農家の経費の負担増は大問題となり、事業の中止や泉北耕地整理組合の解散要求にまで発展しました。昭和11[1936]、ついに泉北耕地整理組合は役員が辞職し、大阪府に事務管理が移管される事態になりました。

 そのような混乱のなかでも、現場の工事は着々と進められていました。この工事には当時の最新の技術が導入され、先人達の並々ならぬ努力と知恵が注がれました。

説明: 説明: 堤防の盛土作業

説明: 説明: 盛土運搬仮設桟橋

説明: 説明: 副堤防の護岸工事

堤防の盛土作業

盛土材料を運搬する仮設桟橋

副堤防の護岸工事

 

説明: 説明: 農林省技術官の派遣依頼

説明: 説明: 農林省の回答

大阪府から農林省への技術官の派遣依頼()
農林省からの回答書()

昭和86月、堤防中心の基礎部の掘削が完了した
際、大阪府が農林省に実地検分のため技術官の派
遣を依頼しており、農林省から担当技術官を7月上
旬に現場に派遣する旨の回答がされている。


 現在のような大型建設機械のない時代、人力に頼る地道な作業を重ねつつ、様々な困難な状況を乗り越えて、昭和11[1936]6月に農業用ため池「光明池」は、ついに完成しました。→【光明池の築堤】ページへ

説明: 説明: 完成当時の本堤防外法

説明: 説明: 完成当時の取水塔

完成当時の本堤防下流法面と取水塔


 一方、光明池の効果を発揮するためには、用水を供給する水路網の整備、小ため池を潰し水田を造成する事業がまだ残されており、これらの事業を継続するため、昭和15[1940]、泉北耕地整理組合が再出発することとなり、昭和23[1948]8月には、予定していた事業をほぼ完成させることができました。

 昭和25[1950]、泉北耕地整理組合が光明池土地改良区に組織が改編されてからも、幹線水路の整備や老朽化したため池の整備など、様々な事業が引き続き展開されました。

説明: 説明: 光明池土地改良区の設立認可書

光明池土地改良区の設立認可書[昭和2581]

 

説明: 説明: 昭和33年[1958年]の光明池

昭和33[1958]の光明池

本堤防から副堤防方面を望む

 

説明: 説明: 昭和33年[1958年]の光明池

昭和33[1958]の光明池

副堤防から本堤防方面を望む


◇光明池建設当時の古い写真は、全国水土里ネットの水土里デジタルアーカイブスにも掲載されています。

●光明池の改修
 昭和50年代[1975年〜]に入ると、築造以来約半世紀に渡り、堺市、高石市、泉大津市、和泉市に拡がる約700ha以上の農地を潤してきた光明池も、本堤防からの漏水、用水供給の要である取水塔や放水路の著しい老朽化、上流域の宅地開発などに伴う流入水量の増大といった、安全上の大きな問題を抱えるようになりました。

 このため、昭和52[1977]から昭和60[1985]にかけて、本堤防の補強、余水吐の改修、取水塔の改築を目的とした昭和の大改修が行われたのです。

 この改修事業も、大阪府によって実施されました。事業の実施に当たっては、改修計画や設計施工に関する技術指導を京都大学の沢田総長や大阪府立大学農学部(現:生命環境科学部)の中谷教授(何れも当時)から受け、事業に関する様々な調整を光明池土地改良区が行いました。

説明: 説明: 本堤防改修の様子1

説明: 説明: 本堤防改修の様子2

本堤防の改修の様子


 これらの取り組みは、後に大学及び大阪府により研究論文としてまとめられ、農業土木学会(現:農業農村工学会)に発表、昭和63[1988]に同学会が制定する上野賞に輝きました。

 また、老朽化の進んでいた取水塔は、新しいものに造りかえられました。新設に当たっては、昭和年史の記念的構造物であった旧取水塔に外観と寸法をほぼ同一に合わせ、場所を北側に約36m移して造られました。現在でも、貯水位が下がると、旧取水塔に渡っていた管理橋の基礎が顔を見せます。

説明: 説明: 新旧の取水塔

説明: 説明: 旧取水塔管理橋の橋脚基礎

旧取水塔()と建設中の新取水塔

旧取水塔管理橋の橋脚基礎

 

【上野賞】
 「農業土木に関する事業の新しい分野の発展に寄与すると認められる業績を対象」としたもので、農業土木の創始者といわれる故上野英三郎博士の輝かしい業績を賞揚し「農業土木に関する学問、技術の発展をはかり、農業土木事業における新しい分野の開発を促進する目的で制定」されたものです。
 ちなみに、東京の渋谷駅前のシンボルにもなっている有名な銅像「忠犬ハチ公」のモデルのハチ公の飼い主が、上野英三郎博士なのです。なんだか上野賞が身近に感じられますね。


 光明池の本堤防の本格改修は、上記のように終了しましたが、これまで本格的な改修が行われていなかった副堤防も、近年は老朽化が進んできました。

 そこで、平成19[2007]から、大阪府による副堤防の本格改修事業=平成の大改修が行われ、平成24[2012]に完了いたしました。

説明: 説明: 工事着工

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説明: 説明: 堤防盛土工

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説明: 説明: 堤防盛土工

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説明: 説明: 堤防盛土工

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説明: 説明: 堤防盛土工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 護岸工

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説明: 説明: 完成


●光明池守護神社
 本堤防の東側、余水吐の近くに,光明池守護神社があります。

 本堤防の改修に向けて現地調査中に、この地に三神が祭られていたことがことが明らかになりました。

 これは、昭和初期の光明池築造の時に守護神として造営されたと見られ、その後、風雨にさらされ荒廃し痕跡を残すのみとなっていたものですが、関係者の努力により、本堤防の改修に合わせて昭和59[1984]に再建築造されました。さらに、平成17[2005]には神殿の改修を行いました。

説明: 説明: 光明池守護神社鳥居

説明: 説明: 光明池守護神社社殿

光明池守護神社

第一殿(中央)
 奈良県吉野郡吉野町 吉野水分神社之御分霊
第二殿(右側)
 奈良県桜井市 大神神社之御分霊
第三殿(左側)
 京都市伏見区 伏見稲荷大社之御分霊


●水と緑の空間
 光明池はその大きな水面と周囲に豊かな緑を持つ地域の環境資源であり、大阪みどりの百選大阪ミュージアムにも選定、登録されています。

 光明池を、地域の貴重な水辺空間〜オアシス〜として周辺にお住まいの方々に親しんでいただけるよう、本堤防の東側には「遊歩道」、副堤防の東側には「親水護岸」が整備されています。また、副堤防から本堤防にいたる管理用通路も開放しております。

これらの遊歩道などは、隣接する堺市や和泉市管理の公園施設ではなく、水土里ネット光明池の管理地です。
ゴミの清掃などの管理は、水土里ネット光明池が自己負担で行っています。
ご利用に当たってはゴミやペットの糞の持ち帰りなど、光明池の美化にご協力をお願いします。
また、オートバイや自転車での通行は、通路が狭く危険なのでご遠慮願います。

 

説明: 説明: 遊歩道

説明: 説明: 光明池大橋

説明: 説明: 親水護岸

遊歩道

遊歩道から見た光明池大橋

※親水護岸

 

【大阪みどりの百選】
 「大阪みどりの百選」とは、府民からの投票をもとに、平成元年[1989]に「大阪みどりの百選選定委員会」が府内の優れたみどりの景観を百カ所選定したものです。光明池もその中のひとつとして選ばれています。

【大阪ミュージアム】
 「大阪ミュージアム」とは、大阪府内各地にある建築物や、橋、歴史的なまち並み、みどりや自然、商店街、お祭りなどの身近にある魅力的な地域資源を、博物館の「展示品」や「館内催し」に見立て、その魅力を内外に発信しようという大阪府の取り組みです。

【オアシス】
 「オアシス(OASIS)」とは、地域の貴重な水辺環境資源であるため池を、水と緑に包まれたオアシスとして総合的に整備するとともに、府民参加にによるコミュニティづくりを推進し、地域の快適環境づくりを推進していこうという大阪府の取り組みです。

【光明池大橋】
 「光明池大橋」は、住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)の手により建設された歩道橋で、橋長L=157.6m(支間長98m)の「コンクリート中路アーチ橋」と呼ばれる構造を持つ美しい橋です。その優れた設計が評価され、昭和60[1985]に土木学会の田中賞を受賞しています。

 

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←これはなに?

 水土里ネット光明池HPのタイトルを飾っている私はなんでしょう?

 私は、「雨乞蛙(あまごいがえる)」です。本堤防東側、光明池守護神社の横に座っています。

 神社が再建されて20周年を迎えたこと記念し、「水不足を克服しようと努力した先人の思いを忘れず、原点にかえる」という思いを込めて、平成15[2003]5月に誕生しました。

 私は中国生まれで、体長1.8m、身長1.3m、幅1.3m、体重は5,000kgもあります。

 これからも、光明池に豊かな水の恵みがあるよう、天に向かって鳴き続けます。

説明: 説明: 雨乞蛙

説明: 説明: 先人の思いを継ぎてのどかなる貯水を願う雨乞蛙


 


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